眼鏡


「……ない」
 今の今まで側にいた相棒を見失い、私は焦っていた。ぼんやりとした視界の中、手探り
であたりを捜索する。最後に見てから、私はほとんど動いていないはずなのに。彼が勝手
にいなくなるとは考えづらい。
 いて当然、あって当然のものを紛失すると、人は動揺する。いつだって最悪の事態を想
定している人間なら別だが、たいていの人はそうだろう。
 その場で手を振りまわしても発見できず、私は立ち上がった。祖母のよく使う、ぬくい
という言葉がぴったりとくるこたつから出るのは辛い。ストーブやエアコンで温められた
空気の、あのむわっとした感触が私は嫌いだ。普段こたつのみで暖を取っているため、よ
ほどの用がない限りここから出るというというのは苦痛ですらある。
 冬の、休日の朝。昼近くまで寝ていたため、カーテンすら開いていなかった。とうぜん
天気など分からない。もっとも、朝バタバタと出かけることの多い私の部屋でカーテンは
もちろん窓まで開くことはめったにないのだが。
 ベッドから這い出し、そのままずるずるとこたつに潜り込んだ私は本を読んでいた。短
編小説だったが、寝起きのぼんやりした頭に集中力などなく、途中でしおりを挟んで閉じ
てしまった。
 そのままはずした相方、そう、眼鏡。彼が、いなくなってしまった。
 私は結構な近眼で、1メートル先にいる人の顔すらはっきりとは見られない。本は30セン
チ離して読みましょうなんて幼い頃に習ったものだが、今では30センチも離しては確実に
読めない。もちろん裸眼では車など運転出来るはずもなく、免許証には免許の条件等の項
目に眼鏡等必須の旨が明記されている。
 コンタクトレンズ、などという愛人もいるのだが、あれは余所行きの、言わば外面用で
あるし、会うには少しばかり距離がある上に手間もかかる。家にいるとき、一人ぼっちの
時、側にいて支えてくれるのはやはり眼鏡なのだ。
 私が彼と落ち合う場所なんて大抵決まっていて、朝は机の上、夜は洗面所。もちろん例
外もあるが、大抵はそこだ。
 しかし今日は勝手が違った。数分前まで一緒にいたのだ。なくしようがない。遠くに放
り投げた記憶もない。しばしの捜索の後、諦めて愛人の元へ向かった。
 コンタクトをはめ、こたつに再度もぐりこむ。はー幸せ、なんて独り言を呟きながらあ
たりを見渡すと、クリアな視界に眼鏡が入ってきた。なんのことはない、座っていた場所
から30センチと離れていない、ベッドの下。
 服を収納しているカラーボックスの上に、彼はいた。カラーボックスも眼鏡も黒いため、
ぱっと見しかもぼやけた私の眼では認識できなかったのだ。
「こんなところにいたのか」
 一人部屋の中、私は眼鏡に話しかけた。呆れたように薄く笑った。いたというよりも置
いたが正しいのだが、彼は私にとってある意味では人間に近い。
 目につきやすい机の上に彼を乗せ、私は小説の続きを読もうと本を手に取り、しおりを
元にページを開こうとして、やめた。
 今の私に似ている。そう、思った。
 見えないというのは不便であるだけでなく、不安でもある。これは対象が物でも、未来
でも同じ。霞のかかったような視界で歩き回るのは自らの行動範囲、いわば縄張り内でし
か行えない。怖いからだ。
 一歩外に出れば、そこはすでに危険地帯。いつ何時何が起こるか分からない。未知に怯
え、不測の事態に恐怖することは出来ても、未来を見通すことなど出来ず、そのため対応
すら取る事が出来ない。
 かといって何をすればいいだろう。安全地帯にずっといればいいのか。しかしそこがい
つまで安全なのかは分からない。第一、そこに刺激はない。されど、不安を解消するため
に努力しているかといえばそうでもない。胸を張って答える資格など私には無い。
 分からないからおもしろい、それは冒険家の理論だ。私は冒険家ではない。特に秀でた
ところのない一般人だ。何を持って一般と成すかはこの際どうでもよい。重要なのは、私
が特別ではないという事実。抜きんでた存在ではないという事実。所詮何十億分の一にす
ぎないという事実。
 失って初めてありがたみを感じるのだと、よく言われる。私は視力を失って、少しだけ
そのことに気づいた。眼鏡やコンタクトレンズの補助により、私はまだそれなりに生活で
きる。しかし、もしこれすら失ったらと思うと。支えなしに生活できるほどの視力は私に
残されていない。
 人生も同じかな。そう思ったのだ。一人でいたい、独立したいと志向する割に、人に頼
らなければ生活していけないし、独りで生きられるほどの強さも持ち合わせていない。今
はまだ屋根の下、それなりの金、困らない程の食料に恵まれて生きている。いや、生かさ
れている。だが明日は?一月後は?一年後は?十年後は?
 どん底を知らない人間は弱い。それなりで生きてきた人間は、それなりに生きていける
と楽観視している。まさに私だ。大した成功もせず、かといってじり貧になったこともな
い。大きな幸福もない代わりに、大きな不幸もなく。平凡に生きてきた。
 これこそ真の幸せだと言う人もいるだろうが、私からすればそれが当たり前で、それ以
上でも以下でもなくて。普通。そう言える事が幸せだと思えるのは、落ちるところまで落
ちた人間だけなのだと思う。
 だからこそ、どん底から這い上がってきた人間は強いのだ。美醜の話ではなく、強さ。
私は、這い上がれるだろうか。諦めたことならある。妥協したこともある。しかしそれは
どん底ではなかった。平地でルートを変更しただけにすぎない。
 私はちょっと背伸びしてみたいだけなのだ、こうも思う。こう行くのが普通だ、こう行
けばそれなりに幸せだと言われる線路から、少し外れてみたい。意図的に脱線して、人と
わずかに違う道を歩んでみたい。アブノーマルな刺激が欲しい。
 結果的に大きく踏み外すことになるかもしれない。大事故になるかもしれない。それは
怖いが、スリルも欲しい。我が道を突き進む勇気もなく、レールに沿う従順さもない私は、
ただの意気地無しなんだろう。
 メガネ一つから広げた妄想。時折私は、こうやって考えを巡らせることがある。結局苦
悩する自分に酔っているだけなのかもしれない。酒に酔うよりも、きっと厄介だ。
 自嘲気味に鼻で笑い、小説をまた開いた。綺麗な描写だ。少し美しく描き過ぎで、リア
リティを求める私には少しピンとこない。
 しかしここでまた笑うことになった。小説の中に現実味を求め、自分の人生に夢を描く
矛盾に。昔も今も、私はこうだった。正しいのかなんて知らない、けれどまた苦悩して、
自分に酔うとしよう。
 眼鏡を一瞥し、また小説の中へと潜り込んでいった。